私が「福祉」の扉をあけたエピソード。社会福祉士 西真人
(画像=ひふみよBASE)

1.皆さん、こんにちは!

元気120%で挨拶します!私は現在、福岡県大川市で障害福祉サービス事業や更生保護事業を通して、人の人生に寄り添い、その応援団をしている西真人と申します。
約20年間、社会福祉士として障害福祉に関わる事業を続けています。

福祉の仕事は誰かの人生を応援する仕事だと思っています。
だれかの人生を応援するっていいですね。時には感謝の気持ちを言われることもあります。 “ありがとう”と言われるたびに、「自分はどこまで本気で“ありがとう”を伝えることができていたのだろうか」と思うことがあります。

2.福祉の世界へようこそ

このコラムでは、「福祉ってなんだろう?」と福祉に対して漠然としたイメージ持たれているかたや、「専門的な分野でとっつきにくい」と感じているかたに対して、私のこれまでの経験や知見を通して「福祉っておもしろい!」「福祉ともっとつながりたい!」と思ってもらえるような発信をしていきたいと思います。

また、福祉サービスを継続していくためには“生産活動”とのバランスが非常に重要です。そのあたりも踏まえながら、「福祉」や「自立」について段階的に考えていけるようなコラムにしていきたいと思っています。

3.福祉との出会いは学生時代のボランティア

まずは私と福祉との出会いから話を始めていこうと思います。
振り返ると、この世界に飛び込むきっかけをくれたのは両親の支えと、大切な方々との出会いのお陰だったように思います。

大学受験の際、私は体育教員になりたくて国立大学を受験しました。しかし、結果は不合格。浪人する勇気がなかった私は、国立大学の受験と並行して、滑り止めに私立大学を受験していました。専攻する学科を決める際、これといって積極的な動機もなく、全ての学科を比較していった結果、最後に残ったのが福祉学科でした。両親は私が大学に行くことを許してくれ、決して安くはない学費を払ってくれました。それがなければ今の自分はいないと本当に思います。

入学して1ヶ月後、多くのサークルが1年生を引き入れようと、勧誘活動をしていました。当時の私は体育の先生になることは諦めていたものの、何かのスポーツをやりたい気持ちだけはありました。たまたま声をかけてくれたボランティアサークルがスポーツもやるということで、騙されたつもりでまずは入部してみました。
その2週間後、サークルのボランティア活動の一環で、在宅・単身生活していた当時40歳半ばのOさんと出会いました。Oさんは脳性麻痺でほぼ寝たきり。会話は、ボタンを押したら機械が声を発する「コミュニケーションボード」という機器を使ってのやり取りでした。食事・入浴・排泄については、全て周りの介助がないと一人ではできない方でした。サークルの先輩はその方の自宅に週2回訪問し、食事・入浴・排泄に関わる介助全般を本人のペースに合わせながら実施していました。
私は身体に障害のある方が一人暮らしをしていることに衝撃を受けました。他方、自然に関わっている先輩の姿を見ていて、「私もこういう人になりたい!」と、福祉に携わる人としての魅力を感じました。

それからというもの、私自身も月に1回は必ずその方の自宅を訪問し、初めはぎこちなかった状態から、少しずつコミュニケーションも取れ関係性もできてきて、ついには食事の介助も行えるようになりました。
ときには思うような介助ができなかったこともありました。それでもOさんは私たちを受け入れ、いつも笑顔で関わってくださいました。

ボランティアの関わりを通して、人間同士の温かさを知り、人はどんな状況であれ支え合って生きているのだと学ぶことができました。

今、思い返せば、この体験が私にとって福祉との出会いでした。福祉の扉を開けてくれたのは、サークルに声をかけてくださった先輩や、大学に行かせてくれた両親を含め、自分の周りの方々のおかげで“福祉”という素晴らしい宝に出会ったのだと確信しています。

4.おわりに

いつ・どこで・どんな人との出会いがあるかわかりません。出会いは人生を大きく変えることもあります。出会いやご縁を大切にしようと思いながら生活すると、きっと素敵な出会いがこれからもたくさんあるでしょう。私はそれを思いながら今も日々の生活を楽しく送っています。出会いは人生が変わるチャンスです。

※社会福祉士については詳しく知りたいかたは『福祉サービス全般を担える職業「社会福祉士」』の記事をご覧ください。